現代の複雑な社会にペンを刺す。遡倉が言上つかまつります。

◆◇◆◇ 東京ライターズバンク登録 Freelance Writer  遡倉 哲 (ソクラ テツ) ◆◇◆◇

 

自己紹介

昭和58年都立高校卒業後、東洋大学入学。卒業後は都内や埼玉県の私立高校で社会科の教員を勤める。
専門は政治経済と倫理社会、授業は現代社会や世界史なども担当。その後、子育ての環境を求めて伊豆でペンションを開業する。
現在は地方議会議員、ライター・著述業としても活動していて、本の執筆から新聞・雑誌の投稿や社内報のコラム、
取材記事執筆、ウェブではメルマガなどを担当させてもらってます。現在、テレワーク関係の社内メルマガ、ブログ編集者。

「私小説や伝記などを書きたいと思っているけどなかなか...」と思っているあなた。遡倉におまかせください!!

 

ライター経歴

    旅行誌のるるぶ、じゃらん、マップルなどの宿紹介コピー、観光地紹介の取材とコピー作成、それに付随する本文の執筆を手掛ける。

    自営ペンションのHPサイト運営(取材、コピー及び本文作成など)

    小説「かんまんのとき」を出版

・ 短編連載「伊豆熱川ペンション日記 ハートポイントへようこそ!

    杉並文化通信エッセイ五回連載(200号記念でした)

    リクルート系の進学情報誌の取材、コピー及び本文作成多数

    ヤフービジネス「ネットビジネスに輝く八人の女性」

    2007年問題(人口減少・産業・医療など)に関する原稿執筆

    インプラント・審美治療専門の歯科医師への取材執筆

    クレジットカードに関する比較・特色・利用法など原稿執筆

    社内報の連載コラム執筆(時事問題やスポーツに関する雑学)

   「フレンチブル専門誌『BUHI』創刊号」でエッセイ書いてます。

    某省庁外郭団体企画「60歳からのマイワーク」取材執筆

    飲食店取材(バー・レストランなど)

    大手出版社「2ページでわかる『日本の古典』傑作選」作品の概要をまとめ、執筆と解説。(書籍一部分)

    大手出版社「世界史」時代を動かした人物10人のコメントと年表(書籍一部分)

    大手進学塾、小学校3年生の保護者向け「時事問題」家族の会話集

    『日本の名女将』取材執筆

    ネットビジネスマネジメント「人事問題」中小企業社長へのアドバイス

    病院内のニュースレター・ミニコミ系コラム

    伊豆の朝市・直売所取材執筆

    「知っておきたい天使・聖獣と悪魔・魔獣」執筆

    ビジネスの巨人シリーズ「本田宗一郎」(共著)第三章執筆

    IT系企業の求人募集パンフレット作製(インタビュー・取材・執筆・コピー)

    大手出版社 中学通信添削講座の保護者向け読み物を執筆(高校受験の知識やアンケート結果の分析など)

    小説『伊豆熱川ペンション日記、ハートポイントへようこそ!』が、携帯書店サイト「パピレス」より発行されました。  

    大学3年生向け、企業紹介サイトの作成(インタビュー・取材・執筆・コピー)

    某通信大手企業の求人サイト取材執筆

    セキスイハイム2009年度入社案内作成

・ 某一流旅行代理店の伊豆の温泉宿、体験リポート作成

・ 大手出版社『歴史雑学BOOK 図解 幕末・維新年表』

・ ツカサネット新聞記者 「遡倉」で記事検索してください。

・ 「るるぶFREE伊豆」観光施設の取材執筆

・ 「昭和のくらし博物館」取材執筆

・ 西東社『知っておきたい地獄・冥界・異界と天国』 おもに「冥界」部門担当

・ 在京大手食品会社主催、サッカー教室の挨拶文作成

・ 在阪大手食品会社ホームページの歴史コラム執筆

・ 在阪編集プロダクションで社会科の教材(ワークブック) 作成

・ R社 進学ネット取材執筆

・ マイナビニュース執筆

・ 大手ネットショップの商品紹介記事執筆、校正も手掛ける

・ 企業のPR記事執筆

・ メルマガの編集部員(テレワーカー)

・ 大手スーパーお客様通信の執筆編集

・ 大手広告会社のリクルーティング媒体作成(インタビュー取材・執筆など)。

☆ その他いろいろ!「誠実・確実・真実」をモットーに仕事をさせてもらってます。

 

その他

趣味  サーフィン、トレッキング、渓流釣り、スポーツ観戦(MLBNBA・相撲・柔道など様々)、

     読書、トーク、書くことと描くこと、将棋、酒、俳句 etc...

 

書籍のご紹介

平成18年11月、オークラ出版様より「フレンチブル専門誌『BUHI』創刊号」でエッセイ書いてます。

平成19年4月、世界文化社様より「2ページでわかる『日本の古典』傑作選」が発刊されました。
遡倉が一部執筆いたしました。どうぞよろしくお願い致します。

平成19年5月、アスペクト社様よりビジネスの巨人シリーズ「本田宗一郎」が発刊されました。
(共著)第三章執筆。どうぞよろしくお願い致します。

平成19年6月、西東社様より「知っておきたい天使・聖獣と悪魔・魔獣」出版されました。

平成20年3月、辰巳出版様より『歴史雑学BOOK 図解 幕末・維新年表』が出版されました。

平成21年4月、西東社様より『知っておきたい地獄・冥界・異界と天国』出版されました。

携帯書店サイト「パピレス」において「伊豆熱川ペンション日記 ハートポイントへようこそ」
がアップされております。内容は完全なフィクションですが、私がペンションオーナーということで、
ノンフィクション風になっています。クノッソスのお客様とは一切関係ありません。
 

どうぞよろしくお願いします。

 

地元での私の主張  伊豆新聞などで取り上げてもらっています。

  平成11年12/19(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・自販機は必要か」

  平成12年4/1(土) 産経新聞「談話室」

  平成14年9/8(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・秋休みに賛成」

  平成15年2/2(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・真に喜ばれる地域とは」

  平成15年5/11(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・初の力」↓掲載

  平成15年6/8(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・5月の不思議」↓掲載

  平成15年11/8(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・日米野球談義」↓掲載

  平成16年1/18(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・『逆』の見方」↓掲載

  平成16年4/30(日) 伊豆新聞「伊豆の広場・癒しの時代に」↓掲載

  平成16年11/21(日) 伊豆新聞「かき」↓掲載

  平成17年2/6(日) 伊豆新聞「へぼ将棋、王より…」↓掲載

  平成17年5/15(日) 伊豆新聞「『あの日』に語られる言葉」↓掲載 

  平成17年7/3(日) 伊豆新聞「業務改善命令は国土交通省に」↓掲載 

  平成17年11/13(日) 伊豆新聞「箒木山を越えて」↓掲載

  平成18年1/30(日) 伊豆新聞「片野町長逮捕に思う」↓掲載

  平成18年2/19(日) 伊豆新聞「トリノに人生の価値観をみる」↓掲載

  平成18年10/29(日) 伊豆新聞「安倍内閣の“サプライズ”とは」↓掲載

  平成18年11/26(日)伊豆新聞「履修漏れ騒動の結末はいかに」↓掲載

  平成21年4/19(日)伊豆新聞「憲法論から風力発電事業」↓掲載

  平成22年4/4(日)「めざましかった女性選手」↓掲載

  令和2年6/12(金)静岡新聞 賛否万論「9月入学・始業について」↓掲載

 

 

倉のコラム
ここでは私、遡倉哲が日頃思っていることを書き綴ります。政治経済、文化、教育、スポーツ、芸能など
様々な範囲に及びます。興味のある方は読んで頂きたいし、また御意見などもお待ちしております。

2003
2月28日(金)
 政治
「国連と国連」

 なぜブッシュ政権はここまでして国連決議に歯向かうのであろう。まるで手玉とっているとしか言えない(しかも拠出金も滞納している)。そもそも国連つまり国際連合は、全会一致主義だった国際連盟の反省の上に作られた。つまり多数決主義を採るわけだがそれだけに世界を舞台に綱引きを演じる
こともある。
 再三の査察強化、話し合い解決の決議が出ているにもかかわらず、やれ武力行使だフセイン政権崩壊だと訴える。多少問題があるにせよ他国に土足で入りこんでいいという法はなく、アメリカの一人よがりだと言っていい。

2003
3月5日(水)
 政治
「大国ヨーロッパ一家」

今まで完全にアメリカよりであったイギリスの態度が多少変化しつつある。そもそも労働党の党首であるブレア氏はリベラルな立場の人物であろう。議会の動きを見ても労働党は反対、保守党は理解を示すなどちぐはぐな状況になっている。
 昔から「ドーバー海峡の向うはヨーロッパではない」という考えの強かったフランスは、独自の帝国主義観がある。ドイツと歩調を会わせるというのはちょっと意外な観もあるが、度重なる戦争の悲惨な体験をしてきたゆえであろう。いずれにしてもイギリスはEUの一員としてヨーロッパとアメリカの橋渡しをしようとしている。

2003
3月12日(水)
 政治
「狂気の時間」

 ブッシュを取り巻く戦争好きなネオコンたちの口笛が聞こえる。彼らにはアラブ世界はどのように映っているのだろうか。そこには少なくともアメリカはは比べ物にもならない歴史的な財産があり、自分たちの宗教に対して敬虔である。アメリカはどうだろうか、文化的な所産は見るべきもなく、経済が文化と言っていい。大量生産大量消費に沸くその醜い姿は、現代の共和党政権が作り上げたものであろう。
 そもそもブッシュが大統領になっていなければあの悲惨なテロ事件は起きていなかったであろう。「寝る子を起こすな」の諺に反する言動行動は、ネオコンたちの謀略であり。第3次世界大戦ヘの幕引きにもなろう。昨年のノーベル平和賞受賞者、カーター氏はどう思っているのか知りたい。

2003
3月18日(火)
 政治
「あるべき日本の姿」

 傲慢なフセイン政権を武力で崩壊させようとする米英と、はじめから話し合いの解決を望んだ仏独、強国同士の駆け引きが盛んに行われている。アメリカに近い日本の小泉政権はいち早く米英支持を表明、シラク大統領からクレームの一幕もあったようだが、こちらも頑固一徹跳ね除けた。
 そもそも日本はガキ大将の後ろに見え隠れする金持ちのお坊ちゃまで、誰も世界に影響を与える発言など期待はしていないが、いつぞやの”風見鶏”ではあるまいし、「見極めて判断する」と言い続けるのはどんなものか。良き友、良き同名国でありたいと思うのなら人道的な立場で忠告することも必要であろう。 

2003
3月28日(金)
 政治
「戦争報道今昔」

 いよいよイラクを舞台にした戦争が始まった。連日ダイレクトに生々しい映像が送られてくる。湾岸戦争までは新聞の写真はモノクロで、あのころを境に確か産経新聞だったと思うが一面をカラー写真で報道したのをを覚えている。当時もハイテク兵器が話題になったが、今回のイラク戦争でもより一層ハイテク化された兵器が目の前を踊っている。
 一方イラク軍の兵器はどうだろうか、各所で奮戦している兵力を見ると決して「大量破壊兵器」とは言い難い。化学兵器も含めて今後「確かな証拠」とやらを発見することができるのであろうか。それにしても誤爆による被害が生々しく報じられ、悲痛な思いである。

2003
4月12日(土)
 政治
「崩壊した独裁政権」

 フセイン像が民衆によって引き倒されているのを見ると、人の心の移り変わりは激しいなと感じる。あれはやらせだという人がいるがあの群集の全員がやらせに乗じたのかわからない。ソ連崩壊のレーニン像やベルリンの壁崩壊の時のような純粋に喜べる雰囲気にないのは確かだ。それはイラク国民によって自発的に起こった権力奪取の動きではなく、米軍の進出によるなし崩し的な崩壊だからだ。それだけにイラク国民の心の揺れ動きが感じられる。
 ティクリート進攻に向け着々と準備を進めているようだが、この戦争でいったいごれだけの数の一般住民が死んだのか、兵士が倒れたのか。はっきりとした数時を知りたい。

2003
4月18日(金)
 政治
「対岸の火事」

  シリアに対する情勢がきな臭くなってきた。もともとテロ支援国家としてマークされていたということだが、列記とした主権国家である。一部報道でもあるように、探し物が見つからないアメリカが、隣の家に入りこんで行くといった法や主権を無視した事態が起きようとしている。
 私はそのこと自体もちろん心配だが、アメリカが孤立するのではと気にかけている。世界中の憧れの的であるアメリカが、自由という名の下に好き勝手をしている。戦火が拡大して米英対仏独露の世界大戦が起きないか、それがまず第一に心配である。
 心配と言えばアメリカ国内の教育が戦時下においてどうなのかという不安もある。一方的な情報にもとずく教育や学校において先制攻撃主義的な暴力主義が跋扈するようなことがないだろうか。クリントン政権下で正常化しつつあった教育、これが崩壊する姿は一国の崩壊より真摯にとらえなければならないかもしれない。

2003
4月23日(水)
スポーツ
「全力疾走の姿」

 メジャーリーグが開幕して1ヶ月になろうとしている。早々に野茂の100勝と、めでたい話題に沸いているが、今年の大きな話題はやはりヤンキースに入団した松井であろう。開幕試合の第一打席にタイムリーヒットを放ち、地元ニューヨークでは満塁ホームランという華々しいデビューを飾った。インタビューの受け答えもファンを思っての心からの気持ちが伝わってくる。
 しかし私が感心するのは松井の凡打での全力疾走の姿である。例え平凡なセカンドゴロでも一生懸命ファーストへかけ抜ける姿は、野球を本当に知っているアメリカのファンに好感を得ていることであろう。ややもすれば日本にやってくる助っ人外人の気の抜けたプレーに目を覆いたくなることもあるのだが、彼にとってはメジャー元年、その一生懸命さに辛口のニューヨークファンもエールを送ることであろう。
 

2003
5月11日(日)
伊豆新聞に掲載
「初の力」

 先日の28日の伊豆新聞の記事は殺伐とした話題の多い中、非常にすがすがしかった。
 その日の前日に投票があった、統一地方選挙後半戦の結果が気になってページをめくったのだったが、7面に阪神タイガースの伊代野投手が初勝利を飾ったという記事が顔写真入りで載っていた。今年の新人選手で地元伊東市出身とのこと。実は以前テレビ中継を観戦していた時に静岡県出身であることは聞いていて、まさか伊豆では?とそんな気がしていた。
 というのも伊東で買い物をしていると「伊代野」という名札をした店員さんに会うことがある。「ねえ、もしかして阪神の伊代野選手の親類?」などと聞くことも出来なかったので、記事を読んで「ああやっぱり!」と阪神ファンの私は声を上げた。 いずれにしても地元出身の選手の初勝利を心から祝福したい。初勝利も初当選もこれからが試練だ。

2003
5月13日(火)
社会
「SARSの脅威」

 SARS(新型肺炎)の流行が世を騒がせて3ヶ月ぐらいたつと思う。はじめはインフルエンザの亜流かと思ったが、恐ろしいほどの伝染力で世界を圧巻している。この問題は中国で患者隠しが発覚してからより脅威を感じさせる病気となった。中国の不祥事隠しは社会主義の国としていまさら問題にすべきでもないのだか、こと人名にかかわるこの事態は見過ごしには出来ない。
 そもそも中国は古くから官僚制度を根底にした国家で、ちょっとした不祥事が強烈な責任追求となる。古来そういった世の中の悲哀が漢詩などの文化を作ってきた。その意味で日本も似ているところがある。反省もなしに不祥事を続け、首のすげ替えとほとぼりの冷めるのを待っている。護身のためにはあらゆる犠牲もいとわない。これは東洋の伝統なのだろうか。西洋にはこういった護身術はないのだろうか。

2003
5月13日(火)
社会
「SARSの脅威その2」

 いよいよSARS(新型肺炎)の脅威が日本にも上陸した。台湾の医師が帰国後SARSに感染していたというもので、思いもしないSARS上陸となった。と言っても近年台湾からの観光客が増えているのは事実で、来るべくして来たといった観もある。
 この問題に対する日本の対応はすばやかったと思う。これは政府の対応というより地方自治の対応が機敏だったといえるだろう。地方にとって観光収入の占める割合は大きくなっている。よって、風評被害による損害は計り知れないものがある。宿泊施設の消毒作業などの対応もすばやかった。その後も感染の広がる地域からの入国制限など我々日本人から見れば当たり前とも言える政策が展開されているが、被害の広がるアジア地域の人々からは日本が冷淡な国のように思われているようだ。島国ニッポンの本領発揮だが、これは鎖国主義のなれの果てではなく、れっきとした国防策なのである。

2003
5月30日(金)
社会
「5月の不思議」
(6/8伊豆の広場掲載)

 今日ラジオでとてもいい話しを聞いた。DJのEPOさんが言っていたのだか、EPOさんは毎年4月5月頃になると誰とも会いたくなくなるという。新緑が芽吹くのを見ると自分が気後れしてしまうとのこと、確かに五月病という言葉あるように、社会になじめないと感じる人は少なからずいる。ある医師が言っていたそうだが、日本は四季の区別がしっかりあるので、その変化に気持ちや体がついて行けなくて、自律神経を乱してしまう人もいるというのだ。私も少しそう云うところがあるのだか、自然に逆らったり従順でいたり、日本人は自然とうまく付き合うのがいいらしい。近ごろの山歩きブームは、そんな人間の自然に対する自己主張なのかもしれない。山を歩いた後のすがすがしさはそうなのか。と感じた。五月晴れの天城は大勢のハイカーで賑わっていた。

2003
6月17日(水)
政治
「五味記者の仕業」

 今日、ヨルダンで釈放された五味記者が会見をした。多少やつれたその表情は、ニュースで何度か拝見したことのある顔だった。経過がどうだったにせよ、人の生命が失われたこの忌まわしい事件は風化させてはならない。と言うのはこの事件はただ一個人の犯罪ではなく、戦争という犯罪がもたらした二次災害ともいう犯罪だからだ。
 戦争はすべての垣根をなくす。苦と楽、善と悪、そして生と死、これら対称的な位置にあるものが混在している。これこそが悲劇であり無視してはならない現実であるように思う。

2003
9月12日(金)
社会
「子供たちの唱声に感動

(9/14伊豆の広場掲載)

 今回、熱川小学校の6年生が、NHK全国学校音楽コンクール静岡大会で金賞を受賞したことは大変喜ばしく思います。
 夏休み、誰もいない学校で必死に練習する生徒たちの歌声は校舎にこだまし、なによりも清清しい涼をもたらしてくれました。合唱という声のチームワークがこれほど人を感動させ勇気づけるものか、生徒たち自身も感じ取ることができたでしょう。
ひょっとしてこの町の人々が忘れていたことを思い出させてくれたかもしれません。
 この町の人々がもっともっと芸術や文化に親しむことが出来れば、心にゆとりができるでことでしょう。そんなことを生徒たちに教えてもらったような気がします。
 東海北陸ブロックでは、惜しくも全国大会への出場は逃しました。しかし、奨励賞という励ましの賞を戴き、後輩たちにその望みをたくすことができたのです。更なる熱小の熱唱に期待します。

2003
9月5日(金)社会
「大阪の魅力」

 先月の終わり、私たち家族も遅い夏休みをとって大阪へ一泊旅行に行きました。目的の一番は甲子園での野球観戦でした。試合は8-0でヤクルトに快勝、日頃神宮では苦杯をなめさせられていたので感動させられました。
 しかし今回の旅行で感動したのは他にありました。私は大阪のイメージを聞かれれば「ケチ」とか「えげつない」とか、およそ一般の関東人が思うようなことを想像しているわけですが、それが一変したのです。
 道頓堀の“かに道楽”に入りました。店の造り、知名度から言って相当お金のかかる昼食を覚悟したのですが、四人で食べてビールも飲んで五千円、仲居さんをはじめお店の人も親切だし、子供たちにはおまけはもちろんのこと、お土産までもらいました。それも笑ってしまうのはカニの形のキャンディーとお遊戯会なんかでかぶるようなカニのお面、こんなただであげるようなものに金をかける大坂人の商人魂に脱帽です。それはタイガースのキャラクターグッズにも現れているような気がします。阪神百貨店の特設コーナーにずらっと並ぶグッズを手にとって見ると「とても関東では売らないし、こんなもん作らないよ」といった明らかに受けねらいの商品がある。大混雑の中それでも欲しい商品を手にとってレジまで、さぞかし混んでると思えばガラガラ。だけどそこが面白い。大阪バンザイ!!
 カニ道楽の帰り掛け、よほど美味しかったのかうちの娘が仲居さんたちに「美味しかったよ。絶対また来るほんと美味しかったよ」とごあいさつ、珍しいこともあったもんです。娘もよほど感動したんでしょう。
 思うに大阪のケチはケチじゃない。本当は関東の方がケチなんだと実感しました。なぜなら大阪は基本料金で充分満足できるのだ。余計にお金などはわずにお腹いっぱい心もいっぱいになれる。それが大阪商法。関東はお金を使わないと満足できない。つまり、お金を使わせようと考える方がケチという訳。

2003
10月28日(火)
スポーツ
「日米野球談義」
(11/16伊豆の広場掲載)

 日本シリーズ、ワールドシリーズとも終了して、長かった野球シーズンも終わりを告げた。日本人メジャーリーガーが誕生してからは、夜はビールを、朝はコーヒーを片手に野球観戦の毎日が続いている。もちろん仕事の合間を見てであるが、野球が生活の一部となっているのが現状である。
 日米の野球の違いは、パワー・スピード・緻密さなど人によっていろいろな見方があると思う。いずれにしても子供たちにとって“あこがれ”のスポーツであることに違いない。ところがメジャーリーガーの多くは、ガムをクチャクチャ、つばを吐き捨て、ベンチの中はゴミだらけ、とても「選手たちを見習いなさい」といえないのが現実である。
 その点、日本のプロ野球は、帽子を取って一礼してからグラウンドに立ち、去る時も一礼する選手が多いが、これは信教の違いにほかならない。日本では古来から、八百万の神々が万物に内在しているという考え方がある。そのためつばを吐く行為はしぜん戒められてきた。ところがメジャーリーガーの多くは、キリスト教に基づく一神教の国の出身である。
 よくホームランを打った選手が返ってくると、神に感謝している仕草を目にする。逆に言えば、グラウンドであるとかベンチであるとかに神がいるはずはないので、つばを吐いたりゴミを捨てたりという行為になってしまうのであろう。文化の違いがこんな一面にも出てきて面白い。
 ここまで考えて野球を見る人は少ないと思うが、国際化が進む社会にあってお互いを理解するもっとも根本的なところは宗教である。そこが大切だと思う。
 そう言えば、伊豆の祭りも宴たけなわである。
2004
1月8日(木)
社会
「逆」の見方
1/18伊豆の広場掲載

 巷では景気回復がささやかれ、伊豆の各施設も多くのお客さんで賑わったようです。ご多分に漏れず私の宿もそれなりに忙しい年末年始を迎えました。
 そんな中、元旦に手に取った伊豆新聞の新年号は、大仁からとらえた天城連山の姿が大きく写し出され、私にとってとても衝撃的でした。少しオーバーですが、カルチャーショックと言ってもいいかもしれません。
 昨年初めて天城縦走を試みた私は、仲間とともに東伊豆の立場で天城の自然とハイキング道の整備を微力ながら行っています。ついその三・四日前も初雪の降った天城連山を撮りに白田川の河口にあるしらなみ橋に立っていました。東から見る天城連山は左から小岳・万三郎・馬の背・万二郎となるのです。私にとってそれが常識ですし、当たり前のことでした。ところが西から見る連山は逆になっている。
 だからどうしたんだと言われそうですが、私にとってこの事実は何よりも侵し難い神聖なもののように思えてしょうがありません。いろんな人がいます。いろんな立場があります。逆の立場に立つこと、相手のことを考えて行動すること、新年に先駆けおこがましいのですが、逆の見方を再認識しました。

 
2004
3月17日(水)
社会
「鳥インフルエンザに思う」

 鳥インフルエンザが巷を騒がせてしばらくたつ中、尊い命が失われた。この養鶏所の経営者夫妻の死を私たちはあまりにも静観しすぎてないだろうか。初めて起こったと言っていいこの事態の、国としての対策もできていなかったこの事態の責任を死というかたちで表現してしまった。
 なぜ死を選んだのだろうか。なにも死ぬことはなかった。謝罪して償えばよかった。責任感の強い人だったのだろうか。マスコミの矢継早の質問攻めに堪えられなかったのだろうか。奥さんはどういう心境だったのだろうか。そして、自殺をとめられなかった周囲の落胆を考えるとき、このことが最もばかげていて、あってはならないことだ。
 思えば昨年、人間のインフルエンザが大流行した。ワクチンや薬が不足して多くの人が苦しんだことは記憶に新しい。このことで誰か責任を取ったものはいるのだろうか。ふと疑問に思った。
 

2004
4月14日(水)
社会
「癒しの時代に」
4/30伊豆の広場掲載

 


 先週の伊豆の広場を読んで、思い立ったので書かせて頂きます。「音楽つきの読み聞かせ」に感銘を受けました。私も男だてら?に娘の幼稚園や小学校に行って読み聞かせをしています。今では読み聞かせの会ができて、熱川小学校の朝読書の時間を使って読ませてもらっています。
 よく読み聞かせは「無償の愛のプレゼント」といいますが、私も本当にそう思います。一冊読んで得られる感動は、読み手にも聞き手にも平等に訪れます。
 伊豆市の田足井さんの音楽つきの読み聞かせの実践は、すばらしいと拍手を送りたい思いです。
 「松崎の名を残して」を読んで大いにそう思いました。以前、伊豆市ができるときに「天城」の地名がなくなると聞いたことがあります。古くから馴染まれている地名が地図から消えてしまうのは残念です。
 昨年、那賀川沿いの田んぼの花畑に行ってきました。そのきれいさに今年またリピートしました。
帰り掛け、花の三聖苑をのぞいてみると、大沢学舎に俳句の短冊がいくつか掲げられていました。
「松崎の春陽肌着ひとつにす」どこかで聞き覚えがあると思ったら、昨年訪れたときに投句した私の句でした。
 物の豊かさが頂点に達している今、心の豊かさを満たしてくれる松崎の取り組みに感謝するとともに、期待したい思いです。
 

2004
7月7日(水)
スポーツ
「合併に問う」

 ここのところのプロ野球パリーグの合併問題には嫌気をさされる。最高意思決定機関?とも言うべきオーナー会議とやらの全会一致には、経営者としての立場しか見えてこないし、第一ファンのことをぜんぜん考えていない。まずファンありきという大前提に立って欲しい。
 確かにライブドアの社長は急進的で、古参のオーナーたちからはちょっと信長的に見えたの知れないが、買収の話しを近鉄の選手やファンは支持している。某オーナーが言っていた「金があればいいってもんじゃない」という言葉に言論人としての風格がまったくといっていいほど感じられない。ご自分のチームのお金の使い方はいかがなものか、自己満足でトップクラスの選手ばかり集め挙げ句には、伝統あるヤンキースタジアムのライトフェンスに「○○新聞」という見るからに下品な広告…。やり方を間違えるとベースボールの世界でもジャパンバッシングを食らうとも限らない。
 確実に時代は変化している。その時代の変化についていこうと日本人は一生懸命生きてきた。旧態依然としたものがくっ付いてどうするんだと言いたい。繰り返しだが合併問題は凍結して、選手やファンが喜ぶ道を選んで欲しい。

2004
9月24日
(金)
社会
無人レジ」をどう考えるか

 先日無人レジを設置したスーパーが、静岡県に初お目見えしたというニュースをテレビで見た。いつも係りの人がピッ、ピッ、とバーコードをチェックする行為を、買い物をした本人がするというものだ。これによってレジ待ちが少なくなり、人件費が抑えられるなど効率化が図られるそうだ。
 この手の“新開発”のニュースを見るたび“またか”とがっかりする。日本人はどこまで人の要らない社会をつくれば気が済むのか。聞けばこのシステムはアメリカから来たそうだが、合理化の波が理性のない人間不要の社会を作り上げている。
 そもそも日本の社会は、古来より伝わる“一生懸命社会”である。ことの良い悪いは別として、一生懸命頑張って成功させる。特に戦後、このことが経済面に大いに反映されていると言っていい。ものの豊かさが頂点に達している今、不必要な開発が次々進められている。このことが人手減らしにつながり、労働者の働く意欲を削ぎ、将来を悲観して少子社会が続く。そして“しゃべらなくてもいい社会”は引きこもりの原因にもなっている。
 現在パラリンピックが行われているギリシャには、無人レジどころか自動販売機もほとんどない。人間は無愛想だが、きちんと目と目で商売をする。見習ってもいい部分かもしれない。

2004
11月11日(木)
短編小説
「かき」
11/21伊豆の広場掲載

 それはよく晴れた日のことでした。よく熟れたかきの実と色づいたみかんの実が、はっきりと区別がつくほどよく晴れた日のことでした。私は行こうかどうしようか迷っていた娘の持久走大会の応援に思い切って行くことにしました。
 娘は最近ふさぎ気味で、三日前ぐらいからは股関節が痛いと言い出し、持久走の練習を休んでいました。そんなことだからどうしようか迷っていたのですが、なんとなく、私が応援に来ていることがわかれば娘もがんばって走るかな、という気持ちになって行くことにしたのです。
 会場まで車で行くと、すでに交通整理のため多くの役員の人たちが交差点で旗を振っていました。私が交差点を突っ切ろうとすると、慌てた役員がこっちこっちと黄色い旗で誘導をしました。どうやらスタートした一団がもうそろそろこの交差点に差し掛かろうとしているらしいのです。私は誘導のままに車をシャッターの下りている店の前に停めました。
「すみません、もう始まっているのですね」
「さっき一年生がスタートしました」
 その役員の男性は私の方を見るでもなく、それでも問いに答えてくれました。私もつられてその視線に目をやると、先導車と思われるバイクが50mほど先の小学校の校門から出てきたところでした。それを確認してか男性は私へ向き直り「そのお店はやってないから停めていいですよ」と言いました。わたしは軽く会釈をすると、沿道を歩いていって落ち着ける場所を探しました。知り合いの奥さんがいましたがその人も今まさに走ってくる子どもの応援に身を乗り出していましたので勿論私のことなど気がつくはずもありませんでした。
 10mほど歩くと、やはりやってない店の前にちょうどいいスペースがありましたので私はそこに立ちました。すると元気のいい一年生の一団が目にも留まらぬ速さで走っていきました。どうやら学年ごとに順番に走るらしいのです。私の娘は6年生ですので少々拍子抜けしましたが、それでも知ってる子を見つけては手をたたいて応援をしていました。そのうち、こちらものってきて声を出すようになっておりますと、わたしの気がつかないうちに、いや私より前に来ていたのでしょうか、4、5mほどの道を挟んだ向こう側に一人の女性が座っているのが見えました。歳のころは私と同じ40代ぐらい、毛玉の付いていそうな黒いセーターにそんなに寒くもないのにピンク色の派手なショールを纏って、やはり黒っぽい色の長ズボンに黒の靴、髪の毛は後ろで束ねていました。
 そこは幼稚園の敷地があるところで通りに面して石垣になっておりました。その下の基礎のとことが少し出っ張っておりまして、そこにその女性がぽつんと座っていたのです。子どもが走るのには支障がない位置でしたがガードレールなどない道で、レース展開によっては危ないので私は少し心配になって見ておりました。
 二年生が走り終わったころだったと思います。その女性は脇の手提げバッグからタバコを取り出し火をつけました。そしてなにやら呟きはじめたのです。見ると耳にイヤホンのようなものをしていたので、歌っているのだとわかりました。私は歌詞ともなんともわからない呟きを聞きながら三年生の来るのを待っていたのでした。やがて三年生の応援で私が夢中になっているすきに女性がいなくなっていることに気がつきました。私はべつに気にしていたわけではありませんが、どこへ行ったのだろうとそう思いました。
 三年生がすべて走り終わって、しんがりの先生が走っていくとその女性は缶ジュースを握りしめ、多少よたよたとした足取りで戻ってきました。私はここでこの女性は応援に来たのではないなと思いました。心地のよい日に、ただ日向ぼっこをしているだけのその女性の前を小学生の集団が走りすぎていく。私にはただそれだけのように思えたのでした。その後も無表情の女性のすぐ前を集団が走りすぎていきました。そしていよいよ六年生というときには、私はその女性のことなどすっかり忘れていました。
 娘が走ってくると「おーう、がんばれ!!」と声を掛けます。娘の恥ずかしいそうな顔を見ているとそれだけで私は来てよかったなと思いました。順位などどうでもいいように思えました。
 最後と思われる一団が通り過ぎ、私は帰ろうかなと思って振り返ると遠くにまだ走っている少年がいるのに気がつきました。よく見ると伴走に先生を従えております。私はその足取りからその子は知的障害を抱えている子だなと思いました。その子のことは娘から聞いたことがあったからです。私はその子にも声援を送ってあげようと思っていたら、突然先程の目の前の女性が大声を張り上げ「ハルキが来た。ハルキー!ハルキ走れよ!がんばれ!」と叫ぶのです。私はやや気後れしましたが、そのハルキが走ってきて女性に抱きつくのを見て、急に目頭が熱くなるのを感じたのです。そしてハルキは先生に促されまた走り出しました。遠くにハルキを見送りながら女性はまた歌い出しました。私はこみ上げてくるものを抑えることができず天を見ました。高く澄んだ空に、かきがたわわに実っているのが見えました。

2005
1月31日(日)
社会
「へぼ将棋王より…」
2/6伊豆の広場掲載

先日、楽しみにしていたテレビ番組で久しぶりに大笑いした。NHKの“バラエティ大逆転将棋”というこの時期に毎年放映する番組である。タレントがあの手この手でプロ棋士に挑戦するのだが、今回は東西を代表する重鎮棋士がタイトル戦さながらの演出で、なんと挟み将棋を指す。棋士も棋士で大真面目である。それと、棋士が犯した反則負けを紹介するコーナーもあり、私のような素人も大変励みになった。ちなみに伊豆高原の重鎮、青野照市九段は反則者リストに名前が出なかった。さすがである。
 私は幼いころ父に教えられてよく将棋を指した。負けると悔しいので対戦はしないが、テレビで対局を見るし、伊豆でタイトル戦があるとのぞきに行く。最近はゲームゲームで、将棋や碁は廃れっぱなしだろう。うちは娘二人ということもあって、盤面に向かい合って座るということはほとんどない(ということはたまにはあるのだが…)。父に教えられたことで覚えているのは将棋を指している時の一言だ。
 そういえばこんなことを言っていた。「へぼ将棋 王より飛車を 可愛がり」 どうやら船会社は飛車並みの動きをするジェットホイル船がお好きらしい。王様を忘れてもらっては困るのだが…。

2005  
5月7日(土)
社会
「『あの日』 に語られる言葉」
5/15伊豆の広場掲載

 NHKの衛星放送では今、「あの日」という終戦六十年にちなんだ小さな特番を毎朝放送している。その時間帯がちょうど天気予報と重なるため、始めは見たり見なかったりだったのだが、今月に入ってからは忘れずに見るようにしている。いや、見ずには居られない心持ちになると言った方がいい。
 当時の日付の新聞記事をもとに、著名人が「あの日」を思い返すというもので、終戦の年の三月は東京大空襲を皮切りに各都市で大規模な空襲があった。戦火は拡大されこの五月は沖縄戦の敗戦である。
 振り返りながら語られるその悲惨、悲痛、無残さに、改めて平和の尊さを感じずにはいられない。
 東京オリンピックの年に生まれた私にとって、その後の高度経済成長から大量生産大量消費時代は、不幸を知らない裕福な時代であった。しかし、地獄を見、どん底から這い上がって豊かさの頂点に達した人たちの言葉は、モーニングコーヒーを持つ手を停めてしまう。
 八月の終戦へと続けられるこの語りのリレーは、民主国家日本の産みの苦しみそのものである。

2005  
6月17日(土)
政治
「業務改善命令は国土交通省に」
7/3伊豆の広場掲載

最近、国土交通省の北側大臣の顔をよく目にする。昨年以降、次々と問題化した自動車メーカーによる欠陥隠し、航空会社の不良整備に伴う相次ぐトラブルの発生、金属片が付着したガードレールが各地で発見され、JR只見線では橋げた落下して普通列車に接触。そしてなんと言っても四月二十五日に起きたJR福知山線の脱線衝突事故、百人を超す死者が出る大惨事である。

この国土交通省というのは、四年ほど前の省庁再編で、建設・国土・運輸・北海道開発の四省庁が合併してできたマンモス省庁である。それまでそれぞれが特色をもった行政スタイルを展開してきたものが、十派一からげのごとく括られた格好だ。われわれの生活に密接している情報を提供する気象庁もこの下部組織であるし、この国土交通大臣は、伊豆にも関係の深い観光立国担当の大臣でもあるという。

これだけいろんな方面に明るい大臣も珍しい。いや、お世辞にもそうは言えないだろう。多くのセクションに目が行き届いていないのが現状なのだ。

大切な命を預かる省庁が、これほど後手後手に管理監督業務を行えばどうなるかは、役人自身がよくわかっているはずだ。業務改善命令は国土交通省じたいに必要かもしれない。そうしないと、このヒューマンエラーはなくならないと思う。

この役所の中で、伊豆の道路事情や伊豆ナンバーについてどれだけ真剣に考えている人がいるのか、疑問である。

2005  
11月2日(水)
教育
「箒木山を越えて」
11/13伊豆の広場掲載

 先週の日曜日(10/30)、奈良本子供会の遠足がありまして、天城連山の東のはずれ箒木山に登ってきました。子供と保護者、私たち役員の総勢70人が林道から箒木山を目指したのです。一時間弱で山頂に到着、巨大なアンテナ(NTTのアンテナがある)を眺めてみなきょとん、その日はあいにくの曇り空で天城の山々や海は臨むことが出来ませんでした。
 そもそもこの企画が浮かんできたのは、役員のむかし話からでした。「そう言えば遠足の時、万二郎まで登ったっけじゃ」
 あのいつも眺めている山に、ふるさとの山に、自分の子どもたちにも歩かせたくて浮かんだ企画でした。女性役員を交えた話し合いでは反対する人も多く、私も無理かなと思いました。それでも男性役員の熱意が勝って
(実は夏の日帰り旅行は中止になっている) 今回の遠足は実現することになったのです。
 私はといえば地元の山の会のメンバーで、以前から箒木山〜万二郎のコースの整備をボランティアで行ってきました。このコースはよく知られる“天城縦走コース”から外れたコースで、ガイドブックにも詳しく出ていません。それだけに不安もよぎりました。
 箒木山の頂上で天城の山々の簡単なレクチャーを終えると、野生のリンドウがほころぶハイキングロードをみなはやる気持ちを押さえながら飛び出しました。急きょ用意した軍手を手に巻きつけロープをたよりに降りたり登ったり、万二郎の頂上までは行くことができませんでしたが、目的にしていた途中の立石には高学年の多くがたどり着くことができました。
「ここからちょっと行ったところに眺めのいいところがあるぞ」の問いかけに「行ってみたい!」と数人の子が手をあげました。
 築城石を思わせる大きな石がごろごろしたところに立つと、伊豆半島の南半分が音もなく視界に入ってくる。そしてそれを覆うように赤や黄色に染まりはじめた紅葉のカーテンが幾重にもつづく…。
男の子が「おおー!おれ人生観変わりそうだよ」
 教えても出てこない心の底からの言葉でしょう。そして帰り道ではどこからともなく大地賛唱の合唱が…。そして「早く戻ってカレー食いてー」のホンネも飛び出します。
 次回、より多くの参加者を期待するとともに、この過酷なハイキングが、みなの前向きな姿になって背中を後押ししてくれればと思います。

2006
1月30日(月)
政治
「片野町長逮捕に思う」
2月5日伊豆の広場掲載

今般の一連の騒ぎは、町民はもちろん伊豆半島・いや全国に東伊豆町の汚名をそそいだといっていい。これから花のシーズンを迎える観光地伊豆に、悪い虫をつけるどころかツボミのまま根ぐされにしてしまった。今後の町政のことも含め、責任は非常に大きい。
 私も高校で政治経済を教えてきた人間なので少しは解るが、はっきり言ってこの手の事件は教材にも載らないほど“当たり前”化している。つまり、お役所権力とその癒着の問題である。田舎の自治体にはよくある話だ。しかし、その後の顛末が私にはまったく理解できない。まるで小藩を舞台にした山本周五郎の時代小説を読んでいるような、不可解極まりない事態が次から次と報道されている。
 まず逮捕から一夜明け、議会は予算編成の詰めに追われた。そしてどういうわけか新規事業として計画されていた道路の拡張工事が中止に追い込まれ、幼稚園の統合問題では消極的な態度が示された。
 非常に不思議なのが、いかに町長逮捕といえども「疑わしきは罰せず」で、まだ判決も下りていない辞職もしていない事態のなかで、今まで議会も含めて検討してきたことが一日で“中止”になっていいものなのか、という点である。まったくと言っていいほどそのプロセスが見えてこない。まるで、町長という重石がとれたビックリ箱のようなものだ。
 しかし、それらの見解も県との予算の絡みでしだいにトーンダウン。金曜日の伊豆新聞の記事ではそれら事業の継続を確認したというニュアンスだ。
 今後どうなっていくかわからないが、役所の職員ならびに議員は慎重にことに当たってほしいし、町民の利益を最優先に考えてほしい。これが巷の“当たり前”なのである。

2006
2月19日(日)
「トリノに人生の価値観をみる」
2月26日伊豆の広場掲載

 
 トリノオリンピックもはや半ばまで競技が進み、日本人の健闘も虚しく今だメダルゼロ、入賞の有り難さをひしひしと感じる今日このごろである。そんな中、期待の競技の一つにスノーボードがある。ハーフパイプではまさかの予選落ちが続き惨憺たる結果に終わってしまった。優勝したアメリカの選手は、ほとんどWカップで転戦することなく国内で活躍していたという。試合後、アメリカのコーチがインタビューを受
けてこんな事を言っていた。「えっ?日本が強くなるにはって、それはこの競技場のような大きなパイプをたくさん作ることだ。アメリカにはこのサイズのものがいくつもある」と。
  実に的を射ているとは思わないか。日本では危険だとか、お金にならない?とかの理由でスキー場からスノーボーダーが干されていると聞く。これを期に他国に負けないような場所づくりを考えてあげればどうだろうか。小さい器でくるくるやっていたってだめだ。
 −余談だがもう10年近く前、熱川の海岸でサーフィンをやっていた時、某ホテルの前の駐車場に停めたことがある。その時「サーファーはここに停めるな。おまえたちは金にならねぇ」と言われたことをふと思い出してしまった。−
 新競技のスノーボードクロスにくぎづけになった人も多かったと思う。二番手争いをしていた二人がこけて四番手の藤森選手がゴール、結果7位入賞である。人生こんなもんよとなぞった人も多かったのでは?今日も遅くまでテレビにかじりつきだ。
最後に一句 「昼と夜 ひっくり返って 3D (スリーディー)」

2006
10月12日(木)
安倍内閣の“サプライズ”とは
10月29日
伊豆の広場掲載

安倍内閣が成立して二週間ほどが経つ。“功労内閣”と揶揄されるように、森派や安倍氏の側近で固められた内閣だ。これといったサプライズもないし、華もないような気がする。強いて言えば厚生労働大臣に就任した柳沢伯夫氏が静岡県選出の議員で、過去に国土庁長官、金融担当大臣などを歴任し、実績を残していることである。

伊豆はなんといっても観光で成り立っている地域である。それは経済的に不安定な地域であるとも言える。そのことをわかってくれる大臣がどれだけいるのか。恐らくいないだろう。なぜなら伊豆は日本の経済を支える屋台骨ではなく、人々の癒しを支える観光地だからだ。

以前にも伊豆の広場に書いたが、五年前の省庁再編で、建設・国土・運輸・北海道開発の四省庁が合併してできたのが国土交通省である。伊豆にとって大切な道路建設のカギを握っているのがこの役所だが、実はこの国土交通大臣は観光立国担当の職務も兼任しているという。行政改革でスリム化した省庁は、実は兼務に兼務を重ねている格好になっている。その一方で財政や金融ばかりに特命大臣を増設したせいでセクショナリズムに火をつけた。

ひとつお願いしたいのが、疲弊した地方の現状を鑑みて、専任してことに当たれる地方行政担当大臣と観光担当大臣を新設してほしい。まあ、ここでお願いしても仕方ないのだが…。

望みは5年ぶりに誕生した“ファーストレディー”だ。早速、先日の訪韓の際には地元の小学校に訪れ、勉強中の韓国語で詩を読んだそうだが、この内閣の真のサプライズは昭恵婦人かもしれない。

2006
10月30日(月)
「履修漏れ騒動の結末はいかに」
11月26日
伊豆の広場掲載

まさかと思った富山の高岡南高校の履修漏れ騒動は、実は全国の高校でも同じような実例があるということで、ただただ驚きあきれるばかりである。子どもの我がままや躾のことが取りざたされる中で、学校でもそれが許されていたことに驚きが倍増する。さらに成績表にウソの記載がされるなどの報道があり、まさに親バカならぬ“教師バカ”である。
 今回の事態についてはいくつか問題点が指摘される。まず第一に、「受験に必要な科目以外は勉強したくない」という生徒の声を指導に反映してしまったこと。学業が何たるかを本末転倒している。ふだん培った学力を受験で試すのではなく、受験のために授業を受ける。学校が完全に塾化している。
 公立高校でも大学の入試結果がその高校の優劣を判断する決め手になっている昨今、あまりにも偏りすぎた学業不均衡が起きている。やりたいものだけやってやりたくないものはやらない。起きたいときに起きて食べたいときに食べる。働きたいときに働いてサボりたいときにサボる。世の中が自由になるにしたがって、本来自由という観念の持つ厳しさが姿を消し、襟を正すべきときに自らを律することができなくなっている。家庭でも教育の現場でも近年このような傾向が目立ってきて、様々なところで歪を生じさせている。
 必修科目を“ムダ”というならば社会に出れば“ムダ”が山ほどある。それに直面したときの対応力を着けさせるのも教育だし、それ以前になぜ必修なのかを教師自身が把握し、生徒に諭していかなければならない。受けをとって生徒を引き付けることがいじめに繋がっている。今の時代、真剣に語りかけることが、実は一番生徒を引き付けるんだということを教師自らが気付いてもらいたい。
 さらにこの問題の背景には少子化現象も見え隠れする。大学の定員割れがささやかれる中で、受け入れ側は定員確保のために躍起になっている。レベルは維持しつつも受験科目を少なくして試験を受けやすくする。そして、なるべく“良い”生徒を採ろうとしているのが今の大学側の実情だ。このような“やさしさ”だけを前面に出した教育はこれからも続く恐れがある。

2006
12月27日

短編
「どんど焼き」

 男性化粧品会社に勤めるリュウジは、久しぶりに温泉につかっていた。半年前、社のキャンペーンで長野に行った際、利用したホテルが温泉宿だったが、とてもゆっくり浸ってはいるといった状況ではなく、そそくさと仕度を整え上司との打ち合わせの準備に向かったという感じだった。商談がすみ、「今度こそゆっくり」と思って入った露天風呂には北アルプスを目の前にして仁王立ちする上司の後姿があった。それを思い出し、顔を半分までつけて「プー」とやった。
 正月三が日は家でごろごろ、初詣ぐらいは行ったがすごい人出で、この人出がひなびた温泉に現れるかと思うと、とても温泉旅行に行く気にはなれなかった。
 ミサコはいつも行動的で、こと遊びに関してはリュウジを引っ張っていくタイプだった。リュウジとは同じ会社で、勤務地は違うものの彼の置かれているセクションが忙しいことをよく理解してくれた。だから彼女は、正月は何も言わずにゆっくりさせてあげたし、彼もそのことに対し、別段何も言わなかったがそうなんだろうなと理解していた。
 今回の旅行はめずらしくリュウジから言い出した。小正月の週末に温泉に行くことをなんとなく約束して、ミサコも半信半疑のままふらっと熱川にやってきたのだ。もの思いにふけっていたリュウジは、顔を二、三回湯船ですすぐと次の瞬間思わず展望風呂の窓に視線を向けた。まだ明けていない鉄紺の空に、もうもうと火の粉混じりの煙が見えたからだ。そして「パチ、パチ」と半端じゃない音の中から消防車が近づいてくるのがわかった。
「今年は点火が早いみたいだね」
 風呂桶を整えにきた人が、その手を休めずにつぶやくように言った。リュウジはその男の人が、マフラー代わりにバスタオルを首に巻いた姿を見て思わず笑みをつくった。それがいま東京で流行っている巻き方なのである。妙に親近感を持ったリュウジは思わず話しかけた。
「あれは焚き火ですか」
「ん?どんど焼きさね」
ぶっきらぼうに答えた風呂番は続けた。
「場所によってはどんどん焼きともいうかな。都会の人は見たことないら」
「ええ、ありませんね」
リュウジは風呂番からイスを一つ奪うとそれに座った。
「正月のお飾りとか門松を集めて燃やすんだよ」
「へえ、見たことないですね」
リュウジは風呂番の言い方に、そう年齢も違わない風体なのにバカにされたような気がして少しむっとした。
 それから東の空が白々と明けてくると、リュウジにも“どんど焼き”の様子がつかめてきて、なんとなくほっとしたような面持ちになった。そして、輪郭がはっきりしだした大島の南端から、橙色の旭が水平線から顔を出した。そのころになると、リュウジの両の脇にも客がタオルを腰に巻いて立ちだした。
― 子供たちが釣竿のような竹の棒を持って立っている。
 そのことを尋ねようと思って振り返ったが、さっきの風呂番はもういなかった。
 部屋に戻ると仲居さんが朝食の用意をしてくれていた。ミサコは浴衣姿のまま化粧水を顔にたたいていた。
「おかえり、朝ごはんみたいよ」
「今すごいものを見たぞ、大きな焚き火だ」
「どんど焼きでしょ。仲居さんが言ってた」
「俺は初めてだよ。あんなの見るの」
「私の田舎では毎年やってた。でもこんなに盛大ではないけどね。リュウジは知らないのよ都会育ちだから」
 ここでもなんとなく面白くない気持ちになったが、食欲がなくなるほど気に障ったわけでもなく、朝から賑やかに彩られた膳を平らげた。
 チェックアウトを済ますと、リュウジは厚手のコートをバタバタとさせて破産宣言をして見せた。そんなおどけた二人に、玄関先で靴ベラを持って立っている支配人らしき男が深々と頭を下げ宿泊の礼を告げた。
「今日はこれからどちらにいらっしゃいますか」
「特に決めてないですね」
 そっけなく答えたリュウジだったが、次の瞬間、靴ベラだと思っていたものが単なる棒切れで、しかもその先にミカンが刺してあるのを見て驚いた。「それはなんですか」
「これですか、魔除け厄除けの竹の棒ですよ」
「魔除け…」
「どんど焼きでね、先につけた橙を焼くんですよ」
「ああ、それで竹の棒を…」
リュウジは展望風呂で見た風景を思い返しながら笑みをつくった。
「もう終わったころですが、行ってみられるといいかもしれません。田舎の行事ですけどね」
ミサコの方がニコッと笑みを返して腕を組むと「行ってみようか」とリュウジを促した。
 熱川海岸は緩やかな西風に変わって、凪になった波打ち際は、静かな潮騒を感じる穏やかさだった。遠くを見つめると、風待ちの船団がゆっくりと南に動きだしたのがわかった。すでに陽は高く昇り、どんど焼きの残り火のけむりの行方を追うと、陽の光が目に入り眩しかった。ここは南国、冬の日差しも暖かく感じられた。
「もう終わったんじゃない?」
ほどけかけたマフラーを巻き直してミサコは言った
「あれだよ。子供たちが持っていたのは」
「えっ、どれのこと」
「あの槍のようなもの」
リュウジがめずらしげにそれを眺めていると、顔をすすだらけにした男が声を掛けてきた。
「お神酒はいかがですか?」
「えっ、いいんですか、いただきます」
紙コップに入った日本酒をすすりながらうつむいたリュウジは、はっとして男に向き直った。
「さっきの風呂の方ですか?」
「ああそうそう、いらっしゃったですか。もう終わりですけど下火でちょうどいい、あそこに刺してごらんなさいモチがいい具合に焼けるから」
 二人はどんど焼きの周りの盛り上がった砂に、言われるようにして竹の棒を刺しゆっくりとしゃがんだ。

「これ、さっき旅館の人が持っていたやつじゃない?先っぽにミカンが付いてるもん」
「そうだね」
 一時間ぐらいそこでぼーっとしていた。朝見たときには大勢いた観光客も今はまばらで、着膨れのからだを無理に曲げた子どもが貝を拾っている姿に、なぜか二人とも見とれていた。時間の感覚が消え、これといって話すこともなく二人はたたずんだ。昼食をとりに行った係りの人たちが帰ってくると、ふと我にかえったような気がした。
「もうそろそろいいよ。ほら、ダイダイもちょうどよく焦げてるじゃ」
さっきとは違う、気のよさそうな人が声を掛けてくれた。
「モチは食べちゃってこれは持って帰るんですよ。厄除けになるから」
リュウジはやっと出来上がった作品を空にかざして見上げた。そして、ぼそぼそっと「どうやって持って帰ろう」そう呟いた。
「ねえ、すごいススの匂いがする。ほら、ほら」
髪の毛をばさばささせたミサコはおどけて見せると、リュウジも笑いながらコートの袖の匂いをかいだ。
「ゴホッゴホッ、これはひどい。とても化粧品会社に勤めているとは言えないよ。ハハハハ」
「そうね。でも意外と流行ったりしてこの香り」
 熱川駅で
1425分発の踊子を待つ二人は、昨日ここに降り立った姿と明らかに違っていた。温泉を求めて一夜の宿を借りた二人は、それ以上に何か温かいものを感じ、充実感に浸っていた。


2009
4月19日(日)

「憲法論から風力発電事業」
伊豆の広場掲載
 

 三月十五日の「伊豆の広場」で、石廊崎の風力発電事業について書いた方がいらっしゃいました。私は熱川の三井分譲地に住んでおりますので、ご心配の種はよくわかります。現在熱川の風力発電事業では、ちょうど一年前に起きた事故の後、二月に試運転を再開し騒音調査などを行っています。
 低周波音の問題も騒音の大きさの問題も、法的な整備がなされていないという指摘が多くあります。正直言って法整備以前の問題、すなわち憲法の解釈にかかわる問題だと私は思っています。日本国憲法第十三条に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする」(抜粋)とあります。つまり、全国で広がっている風力発電事業が「公共の福祉」に当たるのかどうか、それが大きなポイントになっているように思えてなりません。CO2削減のための風力発電事業が、公共の福祉と認識されるのであれば、国民の生存権はこれに配慮せざるを得ないでしょう。しかし、低周波や騒音が、ひとたび人体に影響があることが明らかになれば、環境権や静穏権といった「新しい人権」が優先されるのではないでしょうか。
 かつて水俣病をはじめとする四大公害病が起こった背景は、公害対策基本法という公害問題に特化した法律が整備される前でした。風力事業が不完全な法整備のなか闊歩するようでは、周辺住民の健康問題はよりいっそう深刻になるのではないでしょうか。それが心配です。


2009
4月28日
(水)

「許せないのは政治家の方では?」

ツカサネット新聞

 草g剛氏が東京港区の公園で全裸になって騒いだとして、公然わいせつの容疑で逮捕された。ある意味、日本中を震撼させたニュースである。23日の早朝3時ということだからまことに迷惑な時間だ。その後、テレビで放送された様子を見ると二日酔いが激しく、かなり飲んだことをうかがわせた。彼のマスメディア上の立場を考えるとあってはならない行為で、反省して済むことではない。一年ぐらいの謹慎はやむを得ないであろう。
 だが、酒の上での失態は誰にでもある。彼の肩を持つわけではないが、カゴの中のカナリアだって一度は外に出たいと思っている。そして大きな声で歌いたいだろう。この日、草gさんは久しぶりの休日で実家に帰り、その後フラッと飲みにいったという。その瞬間、カナリアはカゴから出たのだ。
 その一方で鳩山総務大臣の暴言。私はこのほうがよっぽど許せない。第一に酔っていないでよくこのような言葉を吐けるものだ。この人は公人としての自分の立場を解っていない。なぜ解っていないかといえば選挙で選ばれているという意識に乏しいからだ。この人はいま問題になっている世襲議員の代表格である。分別のある徳の高いものならこのような言葉は発しないものだ。おごりとしか言いようがない。
 第二に鳩山氏を許せないのが、最初の発言を「人間は人間を評価できるものではありません」と訂正したこと(自身のホームページにもある)。そして「最低最悪の行為である」とも言った。恥の上塗りとはこのことだ。評価はできないが裁くことはできるのか。鳩山氏は安倍・福田両首相の下で法務大臣の職務に就き、多くの死刑執行にサインをしている。酔って裸になったことが最低最悪なら、殺人罪はどれくらいの悪なのか。
 死刑執行が多いと指摘されると「法相が絡まなくても自動的に死刑執行が進むような方法があればと思うことがある」と発言しているが、あまりにも軽すぎる。この人はかつて文部大臣も務めた人だ。「かんぽの宿」問題では正義の 味方を気取った鳩山氏の軽すぎる言動にクギを刺さなければならない。
 そしてもう一点、麻生首相の任命責任は消えていないということ。『盟友』という名のもとに大臣に起用した中川財務相の醜態といい鳩山氏の暴言といい、この三人に共通しているのは世襲議員だということ。世襲という見えない力が、一般人には理解ができない行動を生んでいることにもっと注視しなければならない。政策は評価できても徳が“評価”されなければ人の心を動かすことはできないのだ。
 

2010
4月4日(日)
「めざましかった女性選手」
「伊豆の広場」掲載

 バンクーバー五輪を終え思うことは、女性アスリートの活躍が目立ったことだ。日本人94名の選手のうち、約半数の45名が女性だった。選手団の団長はメダリストの橋本聖子さんが務め、金メダルはなかったものの銀三つ、銅二つの成績を収めたのは立派だった。
 今回の大会では入賞も増え、実りの多かった大会と言えるが、5位までの入賞に注目していえば、12のうち8つが女性の入賞となった。女性の活躍が目立ったのは、冬の五輪ならではのビジュアル感が効いたせいもあるだろう。夏の大会で真っ黒に日焼けした姿も印象的だが、銀盤に躍動する女性アスリートの姿は、女性の白さや清らかさをそのままにして茶の間に届けられた。
 特に印象的だったのが、フィギュアスケートの3人の日本代表、カーリングのクリスタルジャパン、そして、最後の最後まで金メダルを期待させたパシュートの4人だった。
 この競技、まるで日本のために設けられたような競技で、先頭の3人が順番に替わりながら団子になってゴールを目指していく。団体戦が得意な日本にはもってこいだ。
ドイツとの決勝では途中2秒近く離し、「金だ!金だ!」と興奮したが、最後は0.02秒差の銀メダル。ここまでくると技術とかそんなもんじゃない。勝ちたいか勝ちたくないかの違いだけ。準決勝のアメリカ戦だったと思うが、ドイツの選手は最後転びながらエッジを上げゴールした。それくらいの執念がないと一番になれないのだ。
 オリンピッククラスになれば、コンディションひとつで順位が変わるのは当たり前。「勝ち切る」という執念は、自然に準じて生きてきた日本人には難しいのかもしれない。がんばれ!ニッポン!
「簡単に逃げるな」に込めた思いを

サッカーワールドカップ南アフリカ大会が、スペインの優勝をフィナーレにして幕を閉じた。決勝進出初、華麗なパスサッカーが、頑強なトータルサッカーを下した。決勝進出3回目のオランダは、またしても苦杯をなめてしまった。

前回オランダが決勝まで勝ち進んだのは、1978年のアルゼンチン大会だった。地元アルゼンチンにやはり延長の末敗れた。当時中学2年だった私は、家族が寝静まった夜中、テレビのボリュームと自らの絶叫を控えめにして観戦したのを覚えている。

 それにしてもヨーロッパのサッカー人気はとてつもないものだと実感した。スペイン代表が本国に戻ると100万人もの大観衆が選手を迎えた。準優勝のオランダでも70万の人がパレードに声援を送ったという。

 「たられば」はよくないが、もし日本が決勝トーナメント1回戦で勝っていたら、次はスペインと対戦することになっており、日本は決勝に進んだ2チームとも対戦した国となっていた。

予想を覆し大健闘した日本代表は、帰国後の記者会見ではすっかりくつろいだ雰囲気だったが、岡田監督の最後の言葉がよかった。それは、未来を背負う子どもたちへのメッセージだった。

「つらいことがあっても簡単に逃げるな」

 いま中学生は中体連のまっただ中、勝ち進む子もいれば初戦から姿を消す子もいるだろう。頂点は一つだけ、いずれは強敵にぶつかり敗北を喫してしまう。高校生は練習のキツさに戦わずして負けてしまう者もいるかもしれない。そんな青少年に届けた一言だったと思う。

「つらいことがあっても簡単に逃げるな」どんどん思いは広がっていくが、いま、伊豆全体がこの言葉をかみしめる必要があるかもしれない。

2011
1月22日(日)

スポーツ店がなくなったことの意味
「伊豆の広場」掲載

 

「ちょっと、知ってる?」この町にとって、聞き捨てならないニュースが私の耳に飛び込んだのは妻からだった。それも稲高ゴルフ部に所属する娘からの情報だった。
 「“Mスポーツ”が閉店した」こんなことがあっていいのか。私は常々、どんな小さな町にもスポーツ店が一軒はなくてはならないと思っていたが、それがなくなったのだ。
 大した注文をしていた訳でもなく、それでもミニバスチームのシューズは注文していたしボールなどの備品もお願いしていた。俳句大会の盾なども頼んでいた。その他にも細々したものも時たまお願いすることがあった。無理なお願いも快く聞いてくれた。それをこれからどうするのか考えるとけっこう辛いものがある。
 大型店の品揃えの豊富さ、それに最近ではインターネットでどんなものでも購入できる。しかも、実店舗で営業していない分、商品の価格が安い。家に居ながらにして注文できる便利さで、後ろめたい気持ちはあってもついついパソコンの前に座ってしまう。
 学校では毎年の体操着などの注文はあるだろうが、部活で使うものなど、やはり町外で購入していることも多いと思う。緩衝地帯と思われていた田舎町にも、不景気だけはきちっと津波のように押し寄せ、地域社会を壊していく。見えない相手との競争が、商売の世界の常識になってきて、これまで以上の営業努力が欠かせなくなってくる。使命感だけではどうにもならない時代に突入してきている。
 地方が誇れ、地方が興じ熱中できるスポーツの拠点がなくなったことが残念でならない。しかし一方で、この町の商店も“攻めの姿勢”でネットビジネスに取り組む時期に来ているのかもしれない。


2020
6月12日(金)
静岡新聞特集記事
 「賛否万論」掲載

9月入学・始業について

 

政治に“無関心“といわれる学生の提言が政治を動かしたという点においても、「9月入学・始業」は意義深い。一方で、それを早々に「拙速」と結論付ける政治の冷たさに愕然とするし、18歳投票制度が何のために始まったのかわからなくなる。
夏休みを短縮して授業時数に充てるというそれこそ拙速案。猛暑といわれる中での登下校、エアコンが設置されていない学校もある。これまで我慢してきて夏休みも旅行に行けなかったら、いつストレスを解消すればいいのだろうか。さらに観光立県静岡への打撃も計り知れない。
そもそも第2波第3波を考慮しているのか。2学期にしわ寄せされた行事のことも考えると全くゆとりが得られない。学業だけではない。部活の成果を発揮するすべての大会が中止されたことは「しかたがない」ではすまされない問題だ。
「4学期」という言い方が正しいかわからないが、この学期の有効利用を検討し、「ピンチをチャンスに変える」という例えもある。万難を排し9月入学を推進してほしい。

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